大判例

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東京高等裁判所 昭和26年(う)3948号 判決

控訴人 被告人 吉田和雄 外四名

弁護人 為成養之助

検察官 渡辺要関与

主文

本件控訴はいずれもこれを棄却する。

当審における各被告人に対する未決勾留日数中各九十日を原審が言渡した懲役刑に夫々算入する。

理由

本件控訴の趣意は末尾添附の弁護人為成養之助作成名義及び各被告人作成名義の控訴趣意書のとおりであり、なお、被告人等の控訴趣意の要点は、

被告人吉田和雄の分は

第一点原判決には事実の誤認が存する。

第二点原判決は被告人の所為を住居侵入、公務執行妨害と認めているが、被告人等が、川口市議会議場に入つたのは警察官から一方的解散命令がなされ、検束の緊迫せる空気が労働者側をして恐怖心と混乱に陷れ、不当な検束をさけるため止むを得ずなされたものであり、議場に入つた後も切迫した事態の収拾を市長に訴え警察側に検束の不当を訴えたにすぎない正当のものである。

元来本件は最低の生活すら保障されない労働者がこれを求める唯一の道である団体交渉権の行使とこれに伴う大衆行動であつて正当な労働行為である。

同寺崎利春の分は

第一点 本件被告人等の行為は労働者としての団体交渉で正当な行為である。

第二点 昭和二四年埼玉県条例第四三号は憲法の規定に違反する無効のものである。

第三点 原判決は原審裁判官の偏頗な裁判の結果である。

第四点 原判決には事実の誤認が存する。

第五点 原審は被告人等の弁護権を圧迫制限をしたものである。

第六点 原審判決は憲法に違反する無効のものである。

同保坂道彦の分は

第一点 本件は被告人等の労働者としての止むにやまれぬ行為で正当な行為である。

第二点 右条例は憲法違反の規定で無効である。

第三点 原判決は事実を誤認したものである。

同栗城勝雄の分は

第一点 原判決は原審裁判官が職権を濫用して為した独裁裁判であつて無効のものである。

第二点 原判決には採証法則違反が存する。

第三点 原判決は事実を誤認したものである。

第四点 右条例は憲法の規定に違反する無効のものである。

第五点 日本国の戦時経済復活は国民生活を破壊したもので、本件被告人等の行為はこの圧迫政策に抗し生活の保障を要求した当然な正当行為である。

同会沢正元の分は

第一点 本件は労働者が基本的権利に基づいてした正当な行為である。

第二点 原判決には事実の誤認が認められる。

というに帰する。

これらに対し当裁判所は次のとおり判断する。

弁護人論旨第六点及び被告人等の同趣旨について。

昭和二四年埼玉県条例第四三号が、道路その他の公共の場所で集団行進や示威運動をするときは主催者は事前四八時間前迄に当該公安委員会に日時進路等を届け出なければならないと規定し、届出をせず、又は届出事項に違反して行われた場合はその主催者又は指導者は六月以下の懲役若くは禁銅又は三万円以下の罰金に処する旨定めたのは、憲法第九四条による地方自治法第一四条により普通地方公共団体(都道府県及び市町村)は法令に違反しない限り、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康、福祉を保持すること、公園、運動場、道路等の設置、管理又はこれを使用する権利を規制することなど、公共団体の区域内における行政事務で国の事務に属しない事務に関し条例を制定し、その中に罰則を定めることができる旨の規定に基づき制定されたものであることは明白である。

而して集団行進又は示威運動の自由が憲法第二一条及び第二八条の規定によつて保障されていることは所論のとおりであるが、一方国民は同法第一二条によつてその自由の濫用は禁止されているのである。思うに集団行進又は示威運動を行う場合には、普通はその主催者において準備等のために相当の日時を必要とするのであり、他面これらの者が使用する道路その他公共の場所を管理する公共団体としては、四八時間位の時間的猶予を存しておくこと及び行進の時間、進路等を知つておくことは右行政事務の面から必要であるから、この程度の制限は、これらを行う為めには公安委員会の許可を必要とすると規定し或は公共の場所以外の場所におけるものも届出を必要とすると規定するのとは異り、何らこれらを行なおうとする国民の自由を制限すらものとは認められない。しかし所論のように必要に応じ二日の間に急に行なおうとする場合には出来ないことになるのを目してこの自由の制限であると解しても、このように突如として集団行進や示威運動を行なおうとするような場合は、往々にして不測の事態を引き起し易い虞のあるものであること即ち自由の濫用に亘る虞のあるものであることは、この種運動の性質上からも亦古今東西の事例から見て顕著なことであるのでこのような危険を予め防ぐ目的も自から包含するものであると認められ、この程度の制限は公共の福祉に反するものではなく寧ろ公共の福祉のため必要なことであるから、本条例の規定は憲法第一三条の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とするという規定の趣旨には反するものとは認められない。

論旨はすべて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 吉田常次郎 判事 石井文治 判事 鈴木勇)

被告人栗原勝雄の控訴趣意

公安条令は違憲であり無効である。

県条令については悪質な戦争やの手先で無い限り真に法律を理解する者の等しく「違憲公安条令」と主張するところである。しかも此の公安条令が県会に於て議決される時の実情を知る時に如何に悪質なものであり違憲であるかが何人にも明らかになるのである。すなわち当日は反労働者資本家の手先となりさがつていろ県会議員でも公安条令の意図しているのが民主主義の大きな制限であり戦争政策につながるものであることを県民の力で知らしめられたのである。従つてこの議案に賛成すれば民主主義をフミニヂルことになり反対すれば一部独占資本家からにらまれる結果となる為態度決定し難くほとんどの議員が欠席したために定数に達しなかつた。あわてた県当局は大掛りで無理やり自宅から議員を呼びだしてファッショ的議事の進め方によつてどうにか可決したのである。ここにはすでに一片の民主主義すらのこつていないのであり如何に立岡判事が憲法のアラサガシをして適当な条項の一部だけ切取つて公安条令の合法性を合理化せんとしてもすでに本質的に相反するのであり、基本的に明々白々たる違憲である。明らかに立岡裁判長の合法性の論法は憲法の精神に具体的には二十五条、十一条、二十一条、十九条、二十二条に対する侵害であり、ジュウリンである。憲法は公共の秩序維持に名を借りて、再び労働者の諸権利を奪い戦争の具に供せんとする帝国主義者の意図を断固排撃するのである。憲法の精神に基く公共の秩序の維持は、戦争準備費用を公共の費用にふりむけ戦時産業の復活と共に低賃金労働強加を強制して超過利ジュンを追わんがために首切つた多量の失業者を就職せしめることである。

被告人保坂道彦の控訴趣意

一、公安条令違反について

此の様な事件の意義と背景を検察庁と裁判所は「届け出があつたかどうか」という手続きの問題に解消し、公安条令によつて吾々を処刑し彈圧を正当化したのである。

公安条例は明らかな憲法違反である。基本的な権利に対するどんな制限も現在ではファシズムの道具となる。八月十五日毎に行われる平和集会の禁止、東京都に於ける集会禁止、メーデー禁止等はすべて公安条令を基礎としてのみ行われ得た。公安条令は完全な暗黒政治への橋渡しである。又公安条令は成る程デモを禁止してはいない様に見える。だがそれは最も団結力の行使が必要な時(例へば二十七日の様に突然市長が交渉を拒否した時二十八日の様に突然指導者が逮捕された時)にデモを禁止する法律なのである。だから公安条令は実はデモ集会禁止令なのである。だから公安条令は憲法違反であり戦争とファシズムの道具である。吾々は以上により第四十三条違反という判決は不当であり、二十七、二十八日の警官の行動は不当な彈圧であつたこと、そして吾々は全く正しかつたことを主張する。

被告人寺崎利春の控訴趣意

公安条令の違憲性

われわれは二十八日事件の指導でなかつたし此の点については判事の判決文すら有罪の断定をするのは苦しまぎれであつたし、此の点だけでも私たちは無罪を確信しているがそれは別としても公安条令そのものは種々の点で違憲である。故に之を適用することは人民を無権利状態に陷らしめ再び暗黒な専制政治の時代に逆行する事であり日本人民として特に基本的人権の擁護の立て前から公安条令は違憲であると主張する。憲法第三章は基本的人権の不可侵を規定してあるが、公安条令は新憲法下にあつて許すべき法ではなく明治憲法ならいざしらず明治憲法には基本的人権は事実上なく国民は無権利状態にあつた事が新憲法との差異である。基本的人権は投票や選挙によつて左右すべきものでなく不可侵である。勿論吾々は基本的人権の限界の問題について公共の福祉によつて制約されることは否定するものではないが無制限に公共の福祉公益先行と言う美名の下に個人の権利を圧殺する事は許されない。公益先行という美名下に圧政が合理化されることは違憲である。公安条令が労働組合及びその他進歩的大衆団体彈圧のために用意されていることはその判定の主旨が道路使用の制限と言う理由にもならない理由である事によつても明かである。示威運動その他に制限を加え罰そくを設ける事は労働運動その他の本来自由でなければならないところの言論、出版、結社の自由をじゆうりんする行為と変らない。明かに憲法違反である。

弁護人の控訴趣意

六、昭和二四年埼玉県条例第四三号は違憲である。

憲法は国民の集会その他の一切の表現の自由(三条)勤労者の団結権、団体行動権(二八条)を基本的人権として侵すことのできない永久の権利と認めている(一一条)。したがつて集会の自由、団体行動権は他の法令によつてこれを制限してはならないものであり、憲法第九四条で認める地方公共団体の条例制定権も、右基本的人権に対する例外を認めたものでないことはいうまでもない。もつとも憲法は基本的人権の濫用を禁じ公共の福祉のために利用することを命じているが(一二条)基本的人権の行使が公共の福祉と相反することはありえないのであつて基本的人権が本当に守られることは、即ち公共の福祉にかなうことであり、これを裏返して考えれば公共の福祉とは実質的には個人の基本的人権の保持に奉仕するものでなければならない。そして公共の福祉基本的人権というもその基調最高の原理は結局人が食えること人間らしい生活を営む権利という絶対最底の線の確保に帰着する(憲二五条)といわねばならない。人間らしく生活するためにこそその基本的手段としてこの集会の自由、団体行動の自由なる人権が国民の不断の努力によつて保持されなければならない(憲一二条)のであつて公共の福祉を口実として最底生活にある国民の切実な叫び(表現の自由)をおしつぶし一部少数の富者、特権者の利益に奉仕濫用させてはならないのである。敗戦日本の過去において言論集会等の自由を認めた旧憲法が実は「法律の範囲内」という制限の下に民主的な言論集会等を極度におさえつけ軍国主義の罪悪をおかしたことは今ではいわば公知の事実となつている。戦後の日本国民は再びこの過ちをおかしてはならない。とすれば公共の福祉の名により、実質上集会の自由、団体行動の自由をどしどしとせばめて行く結果を招くような法令はたとえ法令の形式をそなえても一切憲法に反する。前記条令はまさにこのような危険な傾向をそなえた反民主的法規であると断言する。

右条例は集団行進につき、事前四十八時間までに公定委員会に届け出なければならないと規定しておりこの規定にしばられれば必要に応じ二日の間に急に集団行進をやりたいと思つた場合でもやれないことになり従つて勤労者の一番大切な武器である団結力は実際上しばしば威力をそがれ憲法第二八条の団結権はむざむざと骨抜きにされてしまう。これでも右条例を憲法違反だといえないなら勤労者は、首切り、低賃金、生活不安等の社会等不合理に対し御無理御尤もと屈従する外なくなる場合のみむやみに多くなり人が人らしく生活する(憲二五条)民主主義の建前は消えてなくなるおそれがある。右条例は違憲でありそれを適用した原判決は違法である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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